てしまのまどは、2012年の夏、代表で美術家の、安岐理加の祖父母が暮らしていた家を片付け始めるところから始まりました。 以降、その拠点・瀬戸内海の島、豊島(てしま)において、暮らしや自然、歴史などを、「見る」「聞く」「話しをする」といった活動をもとに、地理的、社会的な環境と人々の営みの関係を再確認する活動体として「合宿」と称して島の人と記憶をめぐるツアーや、映像のワークショップを行いました。 その後2013年の夏から、昔海苔の作業場だった倉庫の改装に着手。現在のスタッフ専用域を高松在住の大工さん、スペース部分を安岐の大学時代の先輩である庭師の多田弘氏(カゼモニワ代表)とともに行いました。 |
改装中、奇跡的に撮影していました。しかし、土間のコンクリート削りを期に撮影は中断、後半どんどん作業がハードになって、撮影する心の余裕はなくなり、撮っていませんでした。2020年のコロナウィルス感染防止策による自粛期間中に7年ぶりにその映像を掘り起こして見ると、楽しい部分だけが映像として残っていました。早送りでも長すぎる編集になりましたが、
この後、台風の中コンクリートを削り、流し込み、ライティングの調整をして、予め決定していたゲストトークショーの前々日にテーブルを作り、2013年10月10日にスペースとしてのてしまのまどはオープンしました。映像の見所としては22分あたりの、多田さんと柱の束石のための素材を硯の浜にて物色するシーンです。彫りかけたまま放置されている豊島石は地元の人にとっては嫌なものかもしれませんが、安岐は産業遺跡と捉えていおり、そして素材の宝です。それを見せたときの多田さんの様子が必見です。 |
喫茶部 スペースをオープンさせてから、人が立ち寄りやすい場所にするために、始めは安岐がかねてより中華鍋で焙煎していた珈琲や、手作りのお菓子、を振舞うことにして「喫茶部」を立ち上げました。 「喫茶部」としたのは、食べ物を振舞う人はいろんな人がやればいいと考えたからです。そして、立ち上げ当時はかねてより安岐と交流のあった友人 「geco-ya食堂」さんに料理を振る舞っていただきました。 以降、食事、お菓子、そして「毎朝パンを焼く」を2013年の秋から継続しています。また、毎年繁忙期の夏〜秋のシーズンは各地からやってくる喫茶部部員が増えたり、島の中にも部員がいたりします。 2019年の春より喫茶部部長をかねてより関わりのあった高木花文さんに引き継ぎ、よりパワフルに活動しています。 喫茶部の日々の活動はinstagramをフォローしてください。 → instagram |
不定期にアーティストインレジデンス、ワークショップ、トークショー、展覧会、上映会などを行なっています。 |
アクセス |
安岐理加 小豆島生まれ 名古屋芸術大学彫刻科卒業、沖縄県立大学彫刻科研究生として2年在学、情報科学大学院大学 IAMAS 修了 2010年より東京神保町にて「路地と人」を言水ヘリオ、原田淳子、大村みよ子らと始動。2013年まで企画と運営に携わる。 (その後メンバーを変えて現在「路地と人」は水道橋で継続中) 2012年よりアートプロジェクト「てしまのまど」を開始。2013年秋よりスペースを開室。以降喫茶部の営業、アーチィストインレジデンスや展覧会、ワークショップの企画と実施を行う。個人の活動は1990年代は美術館などのホワイトキューブ、2000年代以降、アーティストインレジデンスや、瀬戸内国際芸術祭、こうふのまちの芸術祭、那覇市のアートプロジェクトwanakioなど。 豊島に生活拠点を移してからは、生活造形としての「道具」について考察し、リサーチを伴った作品制作を行っている。 道具が媒介する記憶−生活造形としての「延縄」 のページへ 物語としての「その島のこと」のページへ 撮影 吉濱翔 |