物語としての 「その島のこと」
いつ頃からかわからないのだけれど、その島には人が住んでいた。
彼らは西の方の浜にいて、良い漁場を移動して数日同じところに船を停め、魚を獲り陸のものと魚と米や野菜を交換して、また次の漁場へと移動する、そんなことを繰り返しながら、この島にたどり着いた。
島で彼らは田畑で米や野菜を育て、牛や豚や鶏を飼い、羊を飼って毛を採り、自分たちが植えた果樹で季節の果物を皆で分け合い、自分たちが暮らしていくために必要な物は食べ物でも道具でも殆ど自分たちで作った。対岸の街の農協が薦めるみかんの栽培をして島のそとに出荷して金を稼いだ。
港の前に一軒だけある商店では、文房具やお菓子を買うか電話を繋いでもらい、船に乗るときには立ち寄っていろんなことを話していった。
近くの島に住んでいる人も時々この島にきて、親戚の墓参りや、子守り、薪を拾って帰って行った。
その島には、大きな岩に彫りかけの涅槃像が残されている。人々は彫りかけの涅槃像のことを「寝像」と呼んでいた。
ある時、対岸の街から一人この島に居着いた人がいた。その男の人は「寝像」の頭部を彫り始めた。この辺の島々では、人が渡ってきて居着くことはそんなに珍しいことではなかったから島の人々はその男の人のことを、親しみを込めて名前で呼んでいた。
寝像の奥には透き通った深い緑色の水をたたえた泉がある。その泉の水はいつも温かいので、子供たちは海で潮遊びをした後そこで体を温めた。
子供たちは小さな船で対岸の街の学校へ通っていた。高校生になると街に下宿して、大きな休みの時だけ島に帰るようになった。
やがて向かいの島に大きな精錬所ができて、周囲の島の人々を優先して良い給料で雇う話が上り、多くの島の若い人たちはその精錬所で働くことを選んだし、中では漁師たちもその精練所で作った銅を大阪まで運ぶ船に仕事を変える人も居た。そんな頃に海では大きな橋を作るための砂を沢山取り始め、今まで取れていた魚がとれなくなり、それで船を降りる漁師が増えた。
やがて、島にいる若いものがいなくなってしまったので、定期船に乗るものが少なくなって定期船は廃止になった。残された年寄りたちは残った漁師が出してくれる船で時々街に買い出しに行くようになった。一度島から出た子供たちは学校を出てもそのまま街で働き始め、やがて街で家庭を持つ。歳をとった親たちはそれでも自分たちの力で自分たちが居心地がよい暮らしを島で保っていたのだが、街の港のすぐそばにあった病院が街の中心に移動してしまい、島からは通えなくなった。島の年寄りたちは対岸の街の子供たちのもとへ行くか、施設に入るしか無く、ほとんどの人が島から離れていった。
それでも一人の年老いた漁師は元気だったから、工夫をして漁を続け、猫と一緒に暮らしていた。だけれども一人しかいなくなった島に電気を通すことができなくなり対岸の島にいる娘のところへ猫と一緒に行くことを決めた。
人がいなくなった田畑は草木が覆い、人々が植えた果樹の実は鳥や獣たちが啄みその種をまた周囲に運び、島には様々な樹が生えた。
獣たちの糞や死骸を土は蓄え、樹々は力を増し、またその果実を求めてより一層様々な生き物たちが集まってきた。
泉は今もなお透き通った緑色で温かな水を保ち、涅槃仏はまだ彫りかけのままで、あたりには木々が繁り山に覆われている。
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